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人間の秘めた力を引き出す柔軟性

あぁ、おばちゃんが悲しむだろうな…
という声が今回のピンチの最中、最初に湧いてきた声だった。

 

地図子はこのとき、アメリカ・ボストンの地下鉄レッドライン、セントラル駅のホームにいた。ミスティック川を歩きに行こうと電車を待っていた矢先、またお腹が痛くなったのである。前回の「散歩中に腹痛に襲われ、どう恥をかくか真剣に考えた」に引き続きハライタの話題で恐縮だが、国が違えば教訓も違う。アメリカ珍道中だと思って楽しんでいただければ幸いである。

 

 

 

さて、地下鉄のホームでお腹が痛くなったとき、日本だったらやることは一つである。駅でお手洗いを借りればいいのだ。しかしここはアメリカ。地下鉄にトイレはない。ボストンの地下鉄はニューヨークほど危険ではないにせよ、地下の個室で銃をつきつけられたりしたらたまったもんじゃない。銃をつきつけられなかったとしても、地下鉄が古すぎてたまに天井が落ちてきたりする。生き埋めになるリスクも避けたい。

 

無理やり地下鉄に乗って、目的地でお手洗いを探すという作戦もある。しかし、この作戦も脳内で瞬時に絶たれた。そもそも目的地にお手洗いがあるかどうかわからないし、何にせよこの地下鉄は古すぎてスーパー遅いのだ。セントラル駅とハーバード駅の間なんて、トンネルの中だからバレていないだけで、実際には歩いた方が速いのではないか。友人が地下鉄の職員に確認したら、設備が古いのにメンテナンスもできず、今のところのろのろ速度を守るしかなす術がないらしい。お腹が痛いまま電車が止まったりしたら、最悪中の最悪の出来事である。

 

仕方ないのでホームから地上に出ればいいのだが、この日に限って悩ましい出来事があった。なんと地下鉄の清掃員のおばちゃんが、私を無料で改札の中に通してくれていたのだ。日本人が海外に行くと予想外のハプニングが多すぎて、日本ほど色々なサービスが時間通りに提供されて的確で素晴らしい国はないと日本贔屓になる流れが定番だが、それは海外の「か」の字も体感できていない。日本人が大好きな「正確性」を捨てて、「柔軟性」のレンズを通して見ると、社会がお互い様精神で成り立っていて生きやすい国は実に多いのである。アメリカなんてトラブルがあったら対応しないと銃かお金か法律の鉄拳が飛ぶため、「こんなトラブルがあったから、こう対応してほしい」と主張さえすればお釣りがくるようなことも多い。この日は地下鉄の清掃員のおばちゃんが無料で通してくれた。理由はわからない。黒人のおばちゃんは顔見知りでもない。多分おばちゃんに何か良いことがあったんだと思う。

 

おばちゃんに無料で通してもらった手前、すぐに改札を出るのはとても心が痛んだ。いや、鉄道会社からすればそのまま乗るなよという話なのだが。おばちゃんのおかげで片道運賃を無駄にせずに済んだと思おうと自分に言い聞かせ、改札を出た。案の定、おばちゃんが「Why Japanese people??」という表情で訴えかけてくる。ごめん、おばちゃん。「トイレ、トイレ」と言ったが、おばちゃんは肩をすくめてホームの掃除に行ってしまった。おばちゃんにはこの後も良いことがあってくれ。

 

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ずっとおばちゃんのことを気にかけていたが、私はお腹が痛かったのだった。地上に出て、絶望感に襲われた。セントラル駅は街中にあるにもかかわらず、建物の中にあるであろうトイレはどれも私のためのものではないのだ。周りは小さいレストランやお店ばかりで、すんなりとお手洗いを貸してくれそうなところはない。セントラル駅の両隣の駅には大学があり、どちらでも大学に潜り込んでお手洗いを使えたのだが、セントラル駅だけ中心にありすぎて私が使えるトイレが思いつかないのである。家までは20分ほどあり、戻るのも現実的ではない。

 

こんなときの必殺技を一つ思いついた。公共施設、すなわち図書館を探せばいいのだ。以前違うエリアを散歩していたときに、公共の図書館のお手洗いを借りたことがある。Google Mapで検索すると650mくらいの絶妙な距離に一つ図書館が出てきた。お腹が痛くて気が動転しながら、なんとかGPSの正しい方向を探り当てた。図書館が近づいてくる…が、暗くて嫌な予感がする。なんと日曜日で閉館していたのだ。アメリカに初めて来たとき、平日17時以降と週末はほとんどお店が閉まっているヨーロッパと比べて、アメリカはサンクスギビング以外は週末もお店が開いていて「よく働くな〜」と感動したものだ。でもこの働き者の精神が適用されるのは資本主義下だけで、公共の図書館となると日曜日はお休みらしい。必殺技、不発。

 

 

 

いよいよ限界が近づいてきた。背に腹は変えられないお時間である。セントラル駅には小さなチェーン店などはたくさんあるのだから、もうどれかに突撃するしかないだろうという結論に至った。選ばれたのはメキシコ料理のチェーン店であるチポトレ(Chipotle)だ。朝食後すぐ出てきたのでお腹はまったく空いていないが、お菓子や飲み物など何か買えるものがあるはずだ。チポトレに入るとそのまますごい剣幕でレジに向かった。「後で何か買うから、トイレを貸してください」と。私の必死さを目の当たりにして、レジのにーちゃんは入り口の近くにお手洗いがあり、防犯上このパスコードを入れる必要があるとすぐに教えてくれた。「ありがとう」と伝えて入り口まで戻る。

 

お手洗いを見つけ出すと、ドアには確かに銀色の頑丈なロックがかかっている。ヒスパニック系のにーちゃんに教えてもらったパスコードを入力した。なんと、開かない。これは中に誰か入っているということか。トイレを目の前にして、またもやトイレには辿り着けない。心がざわざわ波を立てている。

 

ふと、後ろに座っていた清掃担当らしきヒスパニック系のねーちゃんが、ずかずかとこちらの方にやってきた。このタイミングで清掃するのか、なんなのか?と思っていたら「あんた、どきな」と言わんばかりの気迫でパスコードを入力し始めた。扉が開いた。 私のことを見かねて開けてくれたらしい。これぞハリウッド映画のような展開。「ありがとう!」と心からのお礼を言って、お手洗いに駆け込んだ。

 

お手洗いに行きたいという切実な欲望は、国境を越える。感謝の気持ちを込めてチポトレではジュースを買った。300mlくらいのジュースが600円以上したが、チポトレの店員さんのチームワーク代だと思えば背に腹は変えられない。

 

 

 

 

 

寄稿者:地図子

まちなみ冒険家。地理・歴史・地学を使ってプチ冒険すれば、面白くない場所なんてない。川・暗渠・用水・湧水・井戸ポンプ・灯台・狂気ぶた・飛び出し坊やなど、なんの意味があるのかわからないものを収集しています。

この記事が更新される頃には、トルコの果てにいます。探さないでください。

 

地図子ブログ:ふと思い立って、プチ冒険