東京はいつもキラキラしていて刺激的で憧れて出てきましたという人が、サラリーマンを辞めてから意外と多くて驚いている。サラリーマン時代は地元には職がなくて… とか、学生時代から東京なので… という“止む無く”という色を漂わせている人が多かったからだ。
しかし、彼らが考える「東京」と、そこで生まれ育った私が見る「東京」との間には、かなりの温度差というか“色”の違いがある。それは、あなた、それが自分の故郷だったらいやでしょうというようなものである場合が多く、私は鬱になる。
その私の“鬱”を端的に表したのが、この春、発売された、土岐麻子さんソロデビュー20周年のベストアルバム"Peppermint Time"である。
このアルバムを聴いたとき、私は押しつぶされるような陰鬱な気分になった。ご存じの方も多いと思うが、白金にある私の家は虎の門や六本木の方から押し掛けて来たキラキラして皆が憧れるような街にする再開発のための立ち退きが迫っている。
私は麻布にある生家から、ここに引っ越してきたとき、まさか白金の住宅街が高層ビル街になるとは思いもしなかった。それは、小林信彦先生が幼少期を過ごした青山一丁目がオフィス街になるとは思わなかったというのと、似ているような似ていないような気がする。
また、私は、現在のマンションに骨をうずめる覚悟で、加えて人生上のアクシデントがあり“ためこみ症”のような状態になってしまって荷物で溢れており、引っ越しができないと憂いているのはご存じの方がいよう。それが顕在化したということもある。
さて、そんな憂鬱な曲を紹介して歌詞を幾つか拾っても良いのだが、不幸にして今の私には、そんな精神的余裕はない。最後に、このアルバムのために書き下ろされたリーフレット「ペパーミント十景」から、それを端的に表している部分を抜粋する。
「ここではないどこか」
ダウンタウン、ネオン、パレード、パラダイス…。
達郎さん、EPOさん、吉田美奈子さん、大貫妙子さん、松任谷由実さんの歌の中に存在する「街」はきっとここではないどこかにあって、大人になれば行ける街だと思っていた。
ヤシの木、車、ビル、海、風…。
鈴木栄人さんや永井博さんの描くレコードジャケットの風景こそが、きっとその姿なんだろうと思っていた。
けれどイメージしていた、西海岸のようなニューヨークのような東京は、大人になって探してもどこにもなかった。音楽の中にははっきりと存在しているのに。
憧れた東京、見つけられない東京。
60年代後半に出来た逗子マリーナやヤシの木が生えた都内のビンテージマンションは、ちょと当時のムードを味わうことができる遺跡のような感じがして、ときめく。
今回の寄稿者:ふぉんと (font)
精神病闘病ブロガー
ブログ・「遺書。」
私小説・「私の話 2019」