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散歩中に腹痛に襲われ、どう恥をかくか真剣に考えた

しまった。と思った。
お腹が痛くなってきたのだ。しかも割とモーレツに。

 

 

地図子は日本津々浦々の川沿いをよく歩いている。可能な限り水源から河口まで。長いと一日20kmほどの区間を、足と心が折れそうになりながら、ただひたすら修行僧のように歩いている。

 

この日は岐阜県から愛知県に向かって流れる土岐川(愛知県では庄内川と呼ばれる)を歩いていた。名古屋市を流れる川は人工的でコンクリート護岸の川が多い中、土岐川は岐阜県を流れている間は自然豊かだ。水源地帯は山の中だし、途中の区間でも近くまで里山が迫っている。自然が豊かすぎる結果、ところどころで街と街の間の峠越えをしないといけないところが地図を見ながら気になっていた。

 

峠越えはまったくやりたくない。車道しか整備されていなくて、歩くのにはとても不便だからだ。実際、地図上でも徒歩ルートを選ぶと別のルートを推奨される。それでも川沿いを歩かなかったら、いったいこの川歩きは何になってしまうのだろうか。ただの散歩である。いや、川歩きだってただの散歩なのだが、可能な限り川が見えていないと目的が達成されない。ここまで通ってきた街中に名残惜しさを感じつつ、後方に細心の注意を払いながら峠越えを始めた。歩き始めてからしばらく経ったときだった。

 

 

お腹が痛くなってしまったのだ。今まで後方ばかり気にしていたが、その注目は急激にお腹に集まった。原因はすぐわかった。お昼に飲んだカプチーノだろう。温かいカプチーノを飲んだのだけど、最近はお腹が弱く、乳成分がお腹の中で冷やされてしまったらしい。「痛いよ〜!」というお腹からの声が、メガフォンのように大きくなっては、波のように少し引いたり、という不穏なリズムを繰り返している。

 

まず、地図を確認する。もし来た街に戻るとしたら、ここから1.8kmだ。コンビニはギリギリあったような気がするが、今引き返したら片道だけで30分はかかるだろう。今日の旅程をこなすのは無理で、別日にすべて歩き直さないといけないかもしれない。行きたい街へは約4kmだ。ここまでは絶対にもたない。ただ、同じく1.8km先にはカフェのようなポイントがあった。カフェよ、開いていてくれ、頼む!迷ったら無謀な道を選ぶ地図子は、このまま真っ直ぐ歩くことを選んだ。まったくのアホである。

 

川沿いの眺めを楽しみにきたのに、今やその余裕はまったくない。お腹の不穏なリズムはどんどん速まってきている気がする。本当にヤバくなったら、いったいどうしたらいいのだろう。峠の道は車道しかなく、両側は上への崖と下への崖しかない。周りを見渡すと車が地図子を追い越していくが、ヒッチハイカーみたいに見知らぬドライバーに頼み込んだ方がいいのか。最悪、隠れられそうな茂みを探した方がいいのか。隠れようと思っても、ふいなタイミングで自転車通学の男子高校生が横を駆け抜けていく。隠れる場所はない。地図子の人生は、まさしくこの道のように、崖っぷちである。

 

冷や汗をかきながら歩き続けていたら、両側が崖のゾーンは抜け、片側が民家になった。しかし、民家の住民は見当たらない。また、一般人が使えそうな公園のような場所も見当たらない。最初に頼りにしていたカフェまではもたないかもしれない。これはどこかの家のドアをノックして駆け込まないといけないのか。何か正解はないのか。ああ、神様、いったいどうすれば。

 

 

と心から願っていたら、あった。

 

 

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トイレではない。
地図子が普段探している井戸ポンプが、だ。しかも、こんなタイミングに限って現れたのは珍しい月星号。目の前には祠もあったりして、なにやら神々しい雰囲気。こんなことってあるのか。生理現象と生理現象が衝突した結果、地図子は急いでカメラを取り出して、井戸ポンプの写真をパシャパシャ撮っていた。このとき脳内では小さい花火が次々に爆発しているような感覚。完全に頭がバグっている。

 

珍しい月星号に全神経を集中させたら、お腹への神経が緩んだ。というわけでそろそろ本当にお腹の限界である。本当にヤバい。ヤバいったらヤバい。色々な恥のかき方を真剣に考えた結果、これはもう誰かのお家に突撃しかないという状況に陥った。次に見つけたお家に声をかけよう、そう思った次の瞬間だった。

 

外で畑作業をする老夫婦を発見したのだ。どのみち恥をかくのであれば、旅での恥はかき捨て。このお二人にお願いしよう。そう決意して女性に近づいて話しかけた。「すみません、どうしてもお手洗いをお借りしたいのですが」女性は半ば困った顔をして(当たり前だ)「いいですけど、家はあそこで…」と先を指差した。ここで自分の脳みそが瞬時に計算する。老夫婦は決して歩くのが速そうではなかったので、あの家まで歩いている間に限界を迎えるかもしれない。「…!」そんな私の脳内を見透かすかのように、少し離れたところにいた男性が声をかけた。「そこのボットントイレを使えばいいんじゃないか?」

 

それだ!!と思った。ボットントイレといえば過去の長物。令和のこの時代に、こんなにボットントイレを切望した日本人はいないだろう。でも心から切羽詰まった地図子には、それがすべての方程式が当てはまった正解に思えた。


「ありがとうございます、お借りします!」と伝え、畑の中の小屋にあったボットントイレをお借りした。周りが遮られているということは、こんなに幸せなことなのか。今まで歩いていた崖っぷちの道が荒野のように、ボットントイレの小屋が暖炉の前の温かいリビングルームのように思えた。風が通り抜けるため、臭いも全然気にならない。自分自身が土に還っていくような気持ちになった。なんでこんな素晴らしいものが過去の長物かと思われているのだろうか。ボットントイレ、最高。

 

 

老夫婦にお礼を伝え、畑を後にした。人間の痛みというのは不思議なもので、痛い最中はああもう死ぬかもしれないと思っているのに、痛みがなくなった瞬間、「あの痛みはいったいなんだったのだろう?」という錯覚に陥る。これまで歩いてきた川沿いの道も、日光が当たってキラキラしているように見えた。少し歩いたら公園が現れた。使いやすそうな公衆トイレも設置されていたので、ここまで感じていたハラハラから身を正すために入ってみた。さすが文明の利器。使いやすい。でもなにか物足りない。人生の最期に思い出すのは、毎日当たり前のように使っていた水洗トイレではなく、切羽詰まったときに与えられたボットントイレかもしれない。

 

人間、何かを心の底から切実に願えば、(井戸の)神様から必要なものを与えられるのだ。神様、ありがとう。月星号、ありがとう。ボットントイレ、ありがとう。老夫婦のお二人、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

寄稿者:地図子

まちなみ冒険家。地理・歴史・地学を使ってプチ冒険すれば、面白くない場所なんてない。川・暗渠・用水・湧水・井戸ポンプ・灯台・狂気ぶた・飛び出し坊やなど、なんの意味があるのかわからないものを収集しています。

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地図子ブログ:ふと思い立って、プチ冒険