写真と文

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その1:暗渠行脚/ankyo angya

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年々、自分が阿呆になってきていると感じる。
開始二文目にして文章の構造に触れるのも気が引けるが、ひとところに所属し続けているかは別の話なので置いておいて、身分のみの話をすると、児童よりも生徒よりも学生よりも「会社員」である期間がぶっちぎりとなってしまった。
ランドセルを背負(しょ)った時間よりヒールを履いた時間が長く、給食を食べた回数より日中にカフェインを摂った回数が多く、「休みたいのに休めない」頻度と踏ん張りどころは増え、花火でなくてお中元、クリスマスでなくてお歳暮、といった具合に。
扶養に入っていた頃の脳内はもっと妄想で溢れかえっていて、空を飛び魔法を駆使して強敵をばっさばっさ倒し、当時過剰摂取していた漫画や小説の推したちとかわるがわる親密になっていた。インプットとアウトプットが目まぐるしく、文章も絵もたくさんかいていた。閃(ひらめ)きも意欲もセンスも彩りもあった。
元来器用ではないので、8時間プラスアルファ労働を主軸にした生活では活発な容量が残らなくなる。それでいて退勤すればさっきまで詰まっていたあれこれ分がごそっと空(す)くのだから、そりゃそうだ。
詰めて空けての週5日を何年も繰り返し、要は働くだけの阿呆、薄っぺらでちっぽけで中途半端で瞳に力も輝きもない、つまらない人間になってしまったのである。
念のためにことわっておくが、もちろん会社員が総じてつまらないわけでは断じてない。個人の器量の問題で、閃きや意欲やセンスや彩りを存分に仕事内で振りまいたり、容量拡張してアフタファイブを充実させたりと、いろいろある。それはもういろいろ。あくまでもしがないいち会社員のわたしの場合、だ。

 

4年以上前のこと、とある女性から暗渠散歩に行かないか、と誘われた。名を地図子さんと言う。同じように自分のブログを持っていて、始めた時期も実年齢も近い。
読めなかった。当時のブログに書いた感想を鉄板ネタのごとくおかわりするが、暗い、に涅槃を合体させたような字の……と認識していた。
届いたメッセージから「暗渠」の文字列をコピィし、検索してから読み方を知った。あんきょ、仏教用語ではなかった。
かつての水の通り道を指す。蓋された年代や地域性によって、緑道になっていたり、公園になっていたりする。マンホールが連続していたり、曲がりくねった細い道だったりする。両脇の家々はこぞってお尻を向け勝手口ばかりが沿っていたり、門扉が道から一段高いところに建てつけられていたりする。水路だったのだからこっち側に玄関を造ったら不便だし、水面すれすれだとなにかと問題が出そうなのできもち高台にしているのだろう。面白いと思った。細長く遊具が整列しているさまは珍しい。蛇行している道は先が見えず浪漫がある。車やバイクが進入してこないのも良い。脇目もふらずに歩いていても危険がないからだ。なにより、いま自分が立っているのは水路、というのが乙である。水の上を歩ける日が来るなんて。

 

それ以来すっかり暗渠散歩にはまり、はまりというか取り憑かれ、取り憑かれというか半ば意固地に義務化し、とち狂って暗渠を追った。どのくらいとち狂っていたかすこし書くと、ピーク時には暗渠フェスと称してお中元も今年のお盆休みがどれだけ長いかも外回りの汗や蒸れや匂いも気にしたことのない、宿題をどうやって終わらせるかにのみ躍起になっていたあの頃ぶりの登場となったであろう夏の風物詩、お祭りのおめかしアイテム、蓄光のカラフルな腕輪を意気揚々とはめ、2days(ツーデイズ)と称して湿気まみれの日本の夏を夜通し歩いていたほどだ。汗が限界に達すれば銭湯に入り――水辺だからか暗渠沿いには銭湯が多い、この暗渠もまた全力で歩きたくなる暗渠である――回復しまた歩く。途中に公園があればすかさず欠かさず寄って敷地内の全遊具ではしゃいでから出る。なんと夜は大人が遊具で遊べるのだ。ブランコでしんみりと真面目な話をするカップルの横で大声で騒ぎながら滑り台を降り、缶チューハイ片手に集う学生の異文化交流会の前でへんてこなデザインの遊具を見ては素面で爆笑していた。声のほうを向けば光る腕輪をつけた良い年の大人たち――地図子さんと散歩したのは昼間の暗渠だが、夜のフェスには別の仲間がいた。単独犯ではない――。不審だ。職質ぎりぎりかもしれない。
最高歩数は2daysで68000歩。日中も歩いていたので暗渠だけではないが、総距離にして43キロだった。細かい支流も数えれば100本以上の川の上を歩いた。福島県、栃木県、奈良県、香川県、長崎県と出張暗渠フェスもした。遠征である。

 

序章に戻る、または繋げるとすると、この奇行は社畜馬鹿に効いた。冒険心が空っぽになった脳を揺さぶる。夜のいたずらっぽい風が口周りにこびりついたイツモタイヘンオセワニナッテオリマスーを攫(さら)った。よそゆきのワントーン高い声色を剥(は)いだ。蓋された地下からたまに聞こえる水の音はオフィスに飛び交うカタカナで淀(よど)んだ阿呆を濾(こ)した。ささやかな探検にはわくわくが詰まっていた。
暗渠の歴史的背景や学術的見解は知らない。暗くてよく見えないし。ただ歩くだけ。歩いて目に入ったものに手当たり次第興味を持つだけ。正当な暗渠の嗜み方ではないかもしれないけれど、用法・用量は人それぞれ、効果覿面(てきめん)であればそれで十分だった。暗渠の上では、子供だった。

 

ピークは過ぎ、オーバドーズだったことにやっと気づいてさすがにフェスは開催されなくなった。部活、なんて呼んで、週一回、仕事終わりの散歩がまだ続いている。やっぱり夜だった。残念ながら飽きっぽかったので一度行ったことのある暗渠に初見ほど魅力を感じなくなってしまったが、これまた残念ながら忘れっぽかったのでわりと新鮮な気持ちで歩くこともできた。おそらく何度も何度もおんなじポイントで立ち止まり、笑いながら写真を撮るのだろう。それもこれもつまらない人間になってしまったからで、つまりつまらない人間になってしまって良かったともいえる。引き続きほどほどに国民の義務を完遂しながら、週一回スマホの万歩計機能をバグらせてゆこうと思う。

 

 

書いたひと:ヒヤパ
ふだんは廃墟を観察したり、公園のぶたちゃんを保護したりしながら散歩しています。iPhoneからブログ書いているので読みにくいかもしれません。長いし。カラーひよこさん、改めてお誘いありがとうございました!

 

廃墟:廃墟ガールの廃ログ

ぶた:https://twitter.com/kyokibuta

地図子さん:ふと思い立って、プチ冒険

暗渠のおはなしが載っています:水平思考小説アンソロジー『ビストロ・ラテラル』 - Bamboo Storage - BOOTH