というのは、無責任な気休めだと思う。
なぜなら、自分が気にしてしまうタイプだからだ。
ただ、どんな対象についてもそうかと問われれば、決してそんなことはない。思考のリソースは有限なので、あらゆる事物に関心の根を張ることはできない。そういう意味で、表題のテーゼは正しいのだろう。
だけど、知れば知るほどに奥行きを感じる面白い人に、出会うことがある。そういう対象には、相応の注意を注ぎたくなる。表層は内面を映す鏡だ。それはただ外見や容姿がどうという話ではない。「誰も気にしちゃいない」はずの些細な振る舞いに、その人なりの哲学を見てしまう。
何をどう言い、何を言わないか。誰と付き合い、誰と付き合わないか。何を選び、何を身に付け、何に親しむか。間合いや距離感。染み付いた所作、気配り、癖。
それは、自己満足かつ身だしなみという点で、ある意味ではファッションやお化粧のようなものかもしれない。だけど、その奥に透ける素肌にこそ、その人なりの美意識が垣間見える。
だから、相手が思っている以上に、自分は相手のことを注意深く見ている。そして、こちらがこちらであるように、相手もまた相手なのである。