好きな古本屋さんがある。
オーナーさんが一人で切り盛りしている小さな古本屋で、カフェにもなっている。
カウンターでコーヒーを頂きながら読書談義に花をさかせることができる、僕にとっては憩いの場だ。
この本屋さんについては、また別の機会に詳しく紹介したいと思う。なんといっても簡単には説明できないぐらい運命的に発見したところなので。
さて、そのオーナーさんに一冊の本を紹介された。
「イチイチさん、きっとこれ好きですよ。ぶっ飛んでる小説ですから」
と、いうことで古本屋さんなのに新刊で購入した本がこちら。
読み終えて気が付いたのだが、帯には「アイルランド版ライ麦畑でつかまえて」と書いてあった。ライ麦は言わずと知れたサリンジャーの名作。僕の読んだ本の中でも、これを超えるものはないと思っていた。実際に、読んでる途中で、ライ麦っぽいな?とも思ったのだが、読み終えた感想としては、
ついに僕は「ライ麦」を超える小説と出会ってしまった。。。
そんな感じだ。
この本が書かれたのは1992年。これを原作にして1997年に映画化もされたが、当時、日本では神戸の児童殺害事件の影響で出版も映画の公開はされなかったらしい。
つまり、そういう内容を含んでいる、、、
そしてこの本はやっと翻訳されて、日本で出版されたのは2022年だ。
1960年代のアイルランドを舞台に、精神科に収容されている男が、家庭が機能不全に陥った少年時代を回想するスタイルの小説で、少年の拙い言葉によって自分の現状と妄想とが入り乱れ、いわゆる「意識の流れ」で表現されている。
翻訳もすばらしく、句読点を省くだけ省いて、文章が読み取れるギリギリを攻めて、この男が少年時代から知識や表現が乏しいことがよく表されている。
主人公のフランシー少年は圧倒的な不幸に見舞われ、差別を受け、狂気と妄想の中に沈んでいくのだが、自分の狂気に気が付くことがない。まともであれば、自分の狂気と理性との葛藤のような物語になっていくのだが、フランシー少年はまともではないから自分の異常さに気づくことができないのだ。
まともではないフランシー少年と、まともな世界との対峙、孤立していく自分、居場所をなくしていく自分、子どものころに仲良しだった友達さえ、自分を差別した家の少年と仲良くなって離れていく。荒れ放題だった自宅を綺麗にしてくれた近所の奥様にも、余計なことはしないでほしいと言ってしまう。
フランシー少年の言葉には悲壮感がなく、ただ、だらだらと思うことが綴られていく。それがさらにこの物語の苦しさを浮き立たせていくのだ。
読み進めるうちに、まともなのはどっちなんだろう?と思い始める。
差別、性虐待、隠蔽、政情不安、まともな人間たちはまともさを保つために弱いものを、まともじゃないと追い詰めて、見捨てていく。
この本を読み終えるころには、痛みで心がカサカサになっていくのがわかる。
その心のカサカサをなんとか保つために、涙があふれてしまう。
みんな歪みの中で生きている。
歪みの中でまともに生きてる僕たちがまともなのか?
歪みのなかに生きられないものがまともなのか?
なるべくネタバレを避けたけど、自分の拙い文章力ではなかなかうまくお伝えできないので、ぜひ読んでみてください!!!
#ブッチャーボーイ
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