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雨止んで雨傘のまま日傘かな 〜 ただごと俳句って?

2024.5.7 7:40撮影

雨止んで雨傘のまま日傘かな

山人

 

通り雨が去って雨傘を畳むと、雲の切れ間からいきなり強い日差しが照りつけてきます。なので、雨傘をもう一度開いて日傘の代わりにしました、、、という、ただそれだけの情景です。それを五七五にしました。こういう俳句を「ただごと俳句」と呼ぶそうです。
「ただごと俳句」という言葉は『俳文学大辞典』(角川学芸出版)には「俳句の日常性を主張するあまり、日常茶飯事のことを詠んで足れりとする傾向に対する軽蔑の語として使われる」と説明されているそうです(わたしはこの辞典を持ってなくて孫引きなので、間違っていたらごめんなさい)。つまり、どちらかというとマイナス評価の言葉みたいです。「ただし、日常性を否定することは別次元の問題である」(同辞典)ともあるそうなので、、、要するにどっちやねん! これでは、俳句初心者のわたしには理解できません。
この辺のニュアンスをもう少し分かりやすく俳人片山由美子さんが説明されています(『NHK俳句 2022年3月号』)。
「当たり前のことが、俳句という形を得たときに当たり前ではない別のものになる」「俳句とは、ただごとであったり陳腐と思えることさえも、輝きを放つフレーズに変えてしまう装置であり、そこに俳句の本質があると言ってもよい」「「ただごと」は平凡と置き換えることもできます」「平凡と陳腐の違いは見極める必要があります。何が俳句になるかを判断するのは、このあたりにポイントがあるといってよいでしょう」
わたしはこの片山さんの説明で腑に落ちました。でもそのことと、わたしの今回の俳句が成立しているかどうか、平凡なのか陳腐なのか、はまた別の話になります、、、(^_^;

「日傘」が夏の季語です。

写真は雨上がりの朝、通勤途中に撮りました。葉っぱの上をつるつる滑り落ちようとする水滴が目を惹きました。どこかの家の玄関の前、名前も知らない木の葉っぱです。

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