写真と文

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その3:嘘にピアス/Lies and Earrings

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「いたっ」

小洒落たインストゥルメンタルや最新ヒットチャートの有線などなく、あるのはキィボードのタイプ音か取引先へのネゴネゴ電話か、予算に対して進捗率の悪い人間を詰める怒号のだいたいどれかである。どれも一方通行に違いない。

無駄口を推奨されない社風、社外で集まれば傷の舐め合いと揶揄される社風。社員は仲間よりもライバル。新入社員にあることないこと吹き込まれるのを上層部は恐れているのか、そもそも採用人物像をはなから見誤っていて早期退職する人間も少なくないからか、入って数ヶ月経ってやっと、お手洗いか駅までの帰り道の数分かで小声にてご飯の誘いが来る。諸々、見極められているのだろう。私も若手社員数人にチェーンの居酒屋へ連れて行かれたのは入社半年後、奇(く)しくも試用期間の終わる日だった。

規模も実態もどこまでもベンチャ企業のくせ、社風や思想が昭和のまま止まっているので、もっと具体的なエピソードを挙げてみてと言われたら、肴にするには濃ゆくて量が多いフルコースで夜を明かせることであろう。私が在籍しているこの五年間ですら、ワンマン社長の思いつきと気まぐれで導入廃止された有象無象は夥(おびただ)しい。入退社の激しいせいで五年でも上から数えたほうが早いし、人事を兼任している先輩は毎月採用面接に時間を割(さ)かれ、常に社保手続きをしている。もちろん彼にも、売上がなぜ伸びないんだと怒鳴りつける声はやってくる。

 

つまりはそんな社内なのでタイミングが良ければ、または悪ければと言っても良いが、些細な独り言でもたいへん目立つことがある。二文字の起源を探るべく、自席から首をなるだけ固定して視線を揺蕩(たゆた)わせると、春川(はるかわ)さんだった。しきりに眉を顰(ひそ)め顔を傾かせ、両手をアッシュブラウンのセミロングに埋(うず)めている。

あろうことか彼女は続けて、いったぁ、と、反復法により文字数を拡張し始めた。弊社きっての営業社員の一人が電話をしていないのだから、そりゃ社内は静かに決まっている。そうか、違う、わざとだ。二文字以上になるのならそれは目立たせているのだ。彼女は参加者を待っている。反射を装って、ほら、ここで声をかければ、気遣いのできる人間であることを、静かな社内でアピールできますよ、そんな理由なら、目立っても怒られないんじゃない、どう? と。

 

「どうしたんですか」

嗚呼、南無。

案の定、声をかけたのは隣の席の夏目(なつめ)さんだった。至極順当な展開だ。彼女もまた優秀な営業社員であり、粘り強さと話の長さから随一の長電話マンなのだが、珍しく社用携帯が左耳にへばりついていない。

「ピアス引っかかっちゃって」

春川さんは用意していた答えをすぐにリリースする。斜めになった頭部のまま上目遣いに、なんなら気持ち食い気味に、待っていましたといわんばかりに。

手札はなんだ?

ただ髪にピアスが絡んだだけならあんなハキハキと独りごちない。静かなのを狙って放った、仕掛けたのだ。幸いにも今は月半ば、予算達成云々(うんぬん)は比較的落ち着いている。その証拠に、近くの男性社員たちはエンタキィで強弱をつけながらタイプ音のBGMを演出するのに忙しい。忙しいのに、会話の邪魔にならないよう電話はばっちり避(さ)けている。

「おろしたてなんですけど、ちょっとおっきい石がついてるの買ったら髪の毛巻き込みやすいみたいで」

そっちか――!

痛い目に遭(あ)っているワタシアピールかと思ったら、その切り口は想定外だった。おいはっきりと夏目さんのほうを向いて言うんじゃないよ、簡単に解(ほぐ)れるんじゃねえか。髪を耳にかけんじゃねえならはじめからそうしろ、首を軽く振るな光を耳元に集めんな、そうですね宝石が揺れて綺麗ですね、お高いんでしょうね。

彼女は私よりも社歴が長く、月間売上トップをよく獲(と)っている。殺伐とした空気にめげずおっとりとした話し方と優しい笑顔で、先方も気を悪くすることなく気づけば契約書に署名してしまうのだ。リピータも多い。社員のモチベーションとバブル期をない混ぜにして、月内で一番通話時間の多かった人とか、一番残業した人とか、狂った指針を施策にインセンティブを出すことがあるのだが、キャンペーン中の彼女の瞳の奥はまじである。いつも通り営業してただけなんですけど、いいんですかいただいでしまって〜と、柔らかな声色で本心を包(くる)んで金一封をかっ攫(さら)う。ご懇意にしているハイブランド専門のバイヤがいるらしく、365日違う靴と時計と鞄で過ごしていると専(もっぱ)らの噂である。

 

「ピアスか、懐かしいですね」

対する夏目さんは表情を変えずに、同情でも心配でも共感でも相槌ですらない、斜め上からやってきた感想で応じた。やる気だ。さて、どう出る。

「昔は開けてたんですけど。息子が抱っこのときにちぎろうとしてくるんで、閉じちゃいました」

鮮やかに参戦!

独身女性か既婚男性、働く理由のある人間しか存在しない社内で、バリキャリとは彼女を指す。転職してきたのは二年前だが、前職でもトップセールスで係長をしていたこともあり、フレッシュさは微塵もない。すぐに「ともかく数字」の空気に順応し、しつこく時には圧をかけ強(したた)かに件数を積み上げていく姿はベテラン男性社員にも引けを取らないほどだ。取引先にも喧嘩腰で挑み何度かクレームを招いたこともあるが、全て華麗に男性社員へバトンタッチし火消してもらっていた。

バツがついているのかどうかは知らないが、彼女は小学3年生の男の子がいるシンママだった。実家のバックアップが手厚いようで、たまに開催される密かな飲み会には決まって参加してくる。よく通る芯の太い声の持ち主がゆえ、騒がしい店では高確率で彼女の独壇場になる。独り身だった頃に世界各国をまわった話や出産して落ち着く前は相当モテた話エトセトラ。

春川さんが無意識に誘い込んだのを読み取った上で、夏目さんは進んで引っかかりにいったのだ。計算高いのを悟られないようにした彼女に、計算高いことを知られてもなお余裕の素振りの彼女。ただ、夏目さんがお子さんのことを出すのは決まって自分の分が悪いときだった。年収や自分のために使えるお金では勝ち目がないので、どうやっても他の社員では手持ちにないステータスを利用する作戦のようだ。初っ端から本気だ。まあ、抱っこしてたって何年前の話してんだよ。ピアス開いてる開いてないの話してないから、論点すり替えんな。

 

「経費の精算追加ありますか」

両者譲らず拮抗するかと思われた局面、語尾にクエスチョンマークをつけず激戦区の机二つに近づく影があった。事務の秋田(あきた)さんである。第二新卒でやって来た彼女はまだ二十代半ば、なのに社歴は私とそんなに変わらない稀有(けう)な人材で、彼女が社に馴染んだからか、イチブンノイチの成功体験を過信して役員たちは若手の積極採用に動くのだが、当然ながらできないことを詰める怒鳴るではイマドキは逃げていくのに気づけていない。

そこが、彼女は肝がすわっているので逃げなかった。今期の恋愛ドラマと期間限定で百貨店に来るスイーツをいくらでも知っていて、整形にならない程度の美容医療に手を出し、ダウンタイムが間に合わないときは週前半だけマスクで出社する。ポーカフェイスで定時退社をキメるため、一部の男性社員は彼女が不機嫌なのではと心配しているが、社内では常に気だるげ、低空飛行なだけだった。丁寧に手入れされたネイルを気にしてタイピングは遅いし、金曜夕方は化粧直しにご執心でお手洗いからなかなか戻ってこない。「辞めない若手社員」の肩書きだけでここまで来ているのが彼女だった。

「もうそんな時期か。大丈夫ありがとう」

「私も大丈夫です。で、一回長いやつ付けてたらほんとに引っ張られて流血沙汰になったんですよね」

さすがの粘りで追撃をやめない夏目さんの様子から、秋田さんは察して春川さんの耳元をちらと見る。スタイルの良い彼女の視点からでは完全に二人を見下すアングルになった。

「春川さんピアスですか」

「そう~。店員さんに限定バージョンってお勧めされて買ったんだけど、ちょっと派手すぎて」

「確かにそれうちの息子だったら絶対手出しますね」

「秋田さんはこういう、おっきめのしないの?」

顔を上げそうになった。まさか、こんな分かりやすいキラーパスとは。社内のほぼ全員が盗み聞いているこのやりとりに、公式に招待されている。埒が明かないタイマンに一石を投じたのか?

秋田さんは自席に戻りながらためらわずに言い放った。先のアングルを添えるのを忘れずに。

「やー、若すぎると似合わないと思うんで、プチプラのばっかりですね」

三つ巴戦だ!

みなさまにならって、私も電話なんてかけずに仕事を進めることにする。納期の近い紙ベースの書類を手元へ。古(いにしえ)のフォーマットを代々使っており、文字が小さくて見にくいと何度か事務に伝えたが改善の目処は立っていない。紙面に垂れた髪の毛をかきあげようとして、春川さんを思い出しやめた。

勝負の行方は困難を極めた。残されたお二方は表には出さないものの完全に火がついていて、外出中の社長が帰社しての強制終了でない限りはこの調子だろう。

 

 

「ふゆちゃん、おかえり」

鍵を開けると、いわゆる「晩ごはんの香り」と労いの声が玄関まで漂(ただよ)ってきた。あたたかい。ただいま、と届けてから靴を脱ぐ。

「その呼び方駄目ってだから言ってるじゃん。配偶者だよ私」

「まあまあ。馴染みがあるからなかなか直んないの」

お決まりのやりとりをしてから椅子を引いた。大ぶりの平皿に香りの発生源が載っている。本日のご飯当番は炒め物の気分だったようだ。

「今日もお疲れ様。大変だった?」

「うん。社長のお気に入りのみなさまがいつも通りに無駄口叩いてた」

社員は仲間ではなくライバル。女性社長だからか、同じような女性社員が残る。数字をあげていればピアスの話だってしても怒られないし、そんなとき社長の気まぐれで雷が落ちるのは男性社員宛だった。女たちは悪天候の中でも、激しくも不毛な攻防戦を繰り広げる。数字よりも大切な戦いがそこにはあるらしい。勝敗を決めるのは涼しい顔して聞き耳立てている周りだが、彼女たちはいつだって自分が勝ったと思い込んでいる。

「そういえば、髪伸びたよね。結ばないの?」

「やだよ、見えちゃうでしょ」

「いいじゃん、おしゃれだし。軟骨ピアス」

そうそう、耳たぶ以外に開いている穴は物理的にも系統的にも痛々しいようで、経験上男性からは良い反応をいただけない。替わって、パンクでもゴシックでもない女の子だったとしても、なぜか褒めてくれることが多い。女ウケのアイテムなのだろう。それを「面白いね、どうなってるのそれ。裏からも見せて」と他意なく切り込んできたのが、目の前の男性というわけ。

「万が一今後参戦する時の切り札にしないとね、とか言って」

 

 

書いたひと:ヒヤパ

ふだんは廃墟を観察したり、公園のぶたちゃんを保護したりしながら散歩しています。

ピアスについて書くだけだったのに、なぜかつよつよ女性社員マウントバトルになってしまいました。ヘリックスとインナーコンク開いてるのはまじですが、あくまでフィクションですのであしからず。タイトルは語感のみで決めただけで、お恥ずかしながら読んだことはありません。

 

廃墟:廃墟ガールの廃ログ

ぶた:https://twitter.com/kyokibuta