「おい!あぶねって!笑」
ルール不明のゲームのように、駅に向かう高校生達がじゃれ合うように押し合いをしていた。
何が面白いのか他人からすれば不思議な光景なのだけど、そんな中、ケラケラ笑いつつも、急に寂しそうに一人の男子が嘆くように叫んでいた。
「あー残りのイベントが卒業式だけとかウケんなー」
決してウケていないのだろうけど、それが余計哀愁を放っていた気がした。
もうそんな時期だよね?残りの学生生活をEnjoyして欲しいとは思っているのだけど。だけれども。きっと学校からだけの卒業だけじゃないのかなーと。もっと言えば学生達だけのイベントじゃないよなーと。そんなことを同時に思ってしまった。
大人と言われる働く人達もある意味卒業みたいな時期になる気もする。昇進昇格だったり転勤だったり、新しい環境だったり職場だったりと、今の自分から新たな自分への卒業なのかもしれない。
そんな卒業をした人を、してくれた人を僕は知っている。
その人は、人生から卒業しようとしていた。正確には卒業を待っていたんだと思う。生きていくことへ何の価値も見い出せていなかったのかもしれない。
不満に思うようなことは
でも、だけど、それは外の人の価値なだけなんだよね。本当のその人を知れるわけはないんだよね。そもそも誰も知ろうとしてなかったのかもしれない。
本人は本人で、自分の価値すらないと考えていたみたい。それを誰にも言えずにいたみたい。いや、言ったところでという優秀が邪魔していたのかもしれない。
ところがどうだ、今その人は、生きていくをしている。楽しむをしている。そうみせているだけなら哀しいのだけど、きっとそうじゃないと信じている。だってあんなに話そうとするのだから。話を聞こうとするのだから。それにいっぱい笑うのだから。まっゲラかもしれないけど←
その人からクリスマスプレゼントが届いたのはクリスマスが終わってからだった。
3種の香りを堪能しましたよ。色的に想像つくかもだけど右からファンタオレンジ、ファンタレモン、ファンタグレープだった。浴槽もろともファンタになった気分がした(しねーよ
素直に嬉しかった。生きようとしてくれているんだと何故か思った。少なくても僕からこの感想を聞くまでは生きているはずだし、だったらずーと言ってあげないのも手かもしれない。なんて思ったりした。
その人はなんらかの正解を得たのかもしれない、或いは正解へむけ進んでいるのかもしれない。その答えを僕は見届けられるとは思えないけど、少なくても解答用紙にどんな点数がつくのかを知りたいななんて思っている。思わされているのかな笑
でも、その時が来る前に僕がその人から卒業しなきゃいけないのかもしれない。
その答えを僕は今日も考えている。
ふりをしている。
それが僕←
ですね。