写真と文

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波の一生。

 

さて、はじめましての人もいれば、いつもお世話になってる人もいるであろう。このブログに寄稿するのは初めての「ゆきにー@雑文書き」と申すものです。

 

とりあえずROMる意味でも他の人の記事を読んでみたりしてたけど、基本的には旅日記風なものであるとか、日常のあれこれを切り取ってスナップ的な記事を書けば良いのだろうか? そういう情感を感じさせるような文章というのは不得手な書き方の気がする。

 

ひとまず、そろっと手なりでも自分なりのエッセイというのを書かせて頂きましょうか。わぁ、よそ行きの文章というのは久々な気がするね。胸がドキドキするなぁ。

 

上部に貼り付けた海の写真であるけど、僕のいつもの行きつけの海岸である。休日でちょっとぼんやりとしたい時などに、コーヒーを淹れてタンブラーに詰めてこちらの海岸を訪れる。

 

世の中にはさまざまな趣味があるけど、僕は海で波を眺めるのが好きである。心を無にして向こうからやってくる波をぼんやりと眺めていると、頭の中でさまざまなイメージが浮かんでは通り過ぎていく。

 

海の波を観察していると分かるのだけど、一回一回来る波というのは全て形が違い、同じ波というのは二度とやってこない。海の向こうから水の山がやってきて、波間で白い飛沫をあげて砕けていく。その一度の現象というのはその一瞬で終わってしまうものであり、二度と繰り返されることがない。

 

かつて椎名誠さんのエッセイのどこかで読んだことがあるのだけど、椎名さんも海で波を見ることを好んでいるのだという。「波見式」という風な概念を椎名さんが編み出していたけど、こういう波の一生の儚さに対して意識を委ねることで世の中の無常さであるとか時間の有限ぐあいなどを観測して楽しもうという遊びである。

 

この一回の波が向こうからきてこちらで砕けるまでには、地球をめぐる大気が風を起こして、その風が海にあたることで流れを生み出し、そこからその波は太平洋を長い旅をして海岸にやってきて海岸に衝突して消えるのである。

 

海を見ていると波というのは向こうから無限にやってくるように思えるのだが、その一回の波が起きるまでには無数のプロセスが絡みあっており、その波が岸壁に衝突して消える一瞬というのも一度しかない。

 

そのプロセスというのは、僕が今海を見ているからその現象を観測したが、僕が見てない間も海はずっと波を生み出し続け、その波は僕の知らないところでずっと白い波濤をあげて砕け続けてる。

 

僕が普段生活をして、いろんなことをやったりだとか悩んでる間にも、海は相変わらず波を生み出し続けて、波は岸壁や砂浜にたどり着き、そしてそのプロセスの一生を終える。

 

世の中の物事というのは全て波のような一回性で動いており、僕らが思考でぐるぐると悩み続けてるおんなじような煩悩についても同じだ。世の中の大きなプロセスの中で発生した波のようなものであり、それはさまざまな過程を通って認識の観測範囲内にたどり着き、派手に白い波濤をあげて砕ける。

 

人生というのも、何らかの偶然のプロセスで生み出されて、大洋を長い旅をしてどこかで砕ける。それに何らかの意味を見つけようという人もいるけども、多分、一つ一つの波には意味がなく、時間の流れで偶然に生じてただ消えていく現象のようなものなのかなと思う。

 

普段の生活の中で考えている、悩みであるとか苦しみというのに僕らは意味を見つけようとするけど、それはただの一回の波だ。その波が発生する要因というのは、僕らが想像することもできないような大きな環境のうねりのようなものであり、人間の意思程度ではどうにもできない。

 

いつもの海辺でチビチビとコーヒーを啜りつつ波を眺めてると、そんな感じのことを考えたりして、むやみやたらに自然の壮大さであるとか人間のちっぽけさを考えるのである。ちょっとぐらい力を持った程度の人間が、波をコントロールしようというのも尊大なのである。全ての物事は大きなプロセスの中で偶然に生み出されて、そして目の前で白い飛沫をあげて消える。そんなもんだろう。

 

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