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ロックが先か?文学が先か?

 今でこそ、読了ツイートなんてことしてるけど、子どもの頃は読書なんて大嫌い。 

 中学生になると、思春期特有の無意味な大人への反抗心もあって、大人が勧める本なんかクソ喰らえ!そんなものよりロックだ!パンクだ!とまあ、当時はまだまだロックは不良の音楽で、自分は不良というよりどちらかと言うといじめられっ子だったのだが、そういう卑屈さも手伝って、レンタルレコード屋でロックバンドを探しては、聴きあさっていた。 

 大好きだったのはRCサクセション、ザ・ブルーハーツ、ラフインノーズ、Echos、尾崎豊、INU、ルースターズ、ストリートスライダース、などなど。 

どのバンドも反骨精神丸出しで、おそらく今だったらコンプライアンスに引っかかるような歌詞だらけだ。 

 そんなんだから、勉強なんか全然できなくて、辛うじて高校までは卒業したんだけど、なぜかウチって高学歴一族で、自分も大学に行かなきゃいけない雰囲気もあり、受験はしてみたものの案の定全滅。ところが、親が、東京の予備校に行って浪人しろと言うので、これはラッキーとばかりに憧れの東京へ、そして予備校に通うことになった。 元号が昭和から平成になった年で、予備校の窓からは建設途中の東京都庁が見えていた。 

 予備校の講師の授業は面白かった。高校の授業みたいに、単に教科書に沿って授業が進むわけではなくて、たとえば英語では単語の起源や派生した言葉、辞書ではわからない語感なども教えてくれたし、世界史の授業ではテキスト自体が年表になっていて、ヨーロッパ史、アジア史、など分けることなく、ビジュアル的にどの時代で世界でどんなことが起きていたのかわかる仕組みになっていた。 

 そして、どの教科の講師も、時々授業から脱線していろんな予備知識を教えてくれることがあった。 

 

 そんな中で、古文と漢文の担当のT先生は、ボクトツでボソボソと講義をするタイプだったけど、講義の途中で時々、『君たちは受験のために学んでいるけど、ぜひ大学に受かったら、たくさんの文学を味わって欲しい。君たちの人生の支えになるものになる』と言っていた。 

 当時は、そんな言葉には全く興味などなかった。だって、そんなありきたりのことは高校の先生だって話してたことだったから。 

 でも、ある時、T先生は、授業とは関係のない、与謝野晶子の『きみ死にたもうことなかれ』のことについて話してくれた。 

 おそらく、ご存知の方が多いと思うので、少し割愛するけど、与謝野晶子が書いたその詩は、戦地へ赴いた弟への心配や愛だけではなく、その当時の時代背景から、日露戦争を繰り広げていた当時の日本への批判の声であり、晶子はこの詩の発表によりたくさんの批判を受けたが、決してその意思を曲げることがなかった、ということをボクは初めて知った。 

 T先生は、この話しをした後にこう言った。 

『文学はね、芸術でありながら、その時代に反逆する言葉なんだよ。』 

 

 その言葉に心をぐいっと握られた。

 

反抗のロック。

破壊のパンク。

反逆の文学。 

 

 

 受験が終わって、やっと滑り止めの大学に受かってから、少しずつ本を読むようになった。 

 最初は、何を読んだらいいのかわからなかったので、とにかく有名な、小説家、芥川龍之介とか太宰治とか、、、その時はなにを書いてるのかわからなかったものがほとんどで、でも、練習するように少しずつ、少しずつ小説を読んで行った。 

 

 

 あれから30年以上の年月が経って、今でも十代のころに出合ったロックやパンクを聴くのだけれども、それらは、若い頃は、世界で生き抜いていくためのチカラを与えてくれるものだったり、不満を代弁してくれるものだったのに、気がついたら、ただ懐かしむものになってしまっていた。 

 しかし、文学は懐かしむどころか、常に新しく(それが過去に書かれたものであっても)刺激的なのだ。

 

 そんな中で、ロックが文学というカタチにして、立ち上がってきた二人の作家がいる。

 

 エコーズの辻仁成、INUの町田康は芥川賞を受賞し、文壇で活躍している。 

 

 

ここではあえて芥川賞受賞作ではない作品を推したいと思う。 

  ロックから小説という枠組みに表現を落とし込んでいった辻氏と、どこまでもパンク魂を貫き通し、枠にとらわれない破天荒な文体の町田氏。 

 

 もしかしたら、ロックがたどり着く先は文学で、もともと文学はロックなのかもしれない。

 

 

寄稿:イチイチ

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