ということで、このたびまた「読むとお腹が減ってきそうな純文学作品」を紹介させていただこうと思います。よろしくお願いします。
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今回紹介したいのが、『深沢七郎コレクション 転』所収、『いのちのともしび』という短編小説です。作者の深沢七郎について説明すると軽く六万字は書いてしまいそうなんでやめときますが、キャバレーでギタリストをしながら、休憩時間に小説を書いていたっていう変人です(褒めてます)。デビュー後も農家をやったり、今川焼きを焼いて売ったりと、やたらと自由な人でした。1914年生まれ、1987年没。
この『いのちのともしび』ですが、自伝小説風の作品です。深沢氏が発表した小説が、とあるテロ事件の原因みたいになってしまい、今で言う炎上騒ぎとなりました(「風流夢譚事件」とも呼ばれています)。それでしばらく断筆し、放浪されていたんですが、『いのちのともしび』はそういった時期に体験したことを元に書かれた小説群のひとつになります。
内容に触れていくと、放浪の途中で札幌までやってきた「私」は、八百屋さんの店先で山盛りに売られたいちごを見かけます。普通、いちごって小箱に入れられて売っているのに、札幌の八百屋では山盛りのいちごをスコップですくって、新聞紙で作った袋に盛った状態で並べられている。それに大きな衝撃を受けます。しかもこれがやたら安い。
ここでは八百屋の店先に山のように盛り上げて、土いじりのスコップですくって投げるように新聞紙の袋に入れて売っているのだ。出はじめは一〇〇グラム五〇円くらいだそうだが、今、出盛りで一キロ四〇円なのだ。買い物に出た奥さん達は、それを、どんどん買っていくのである。いそいで私も一キロ買った。
大量に買ったいちごを宿泊先まで持ち帰ったものの、すべて食べ切れるか不安な気持ちになった「私」ですが、試しにひとつ口に入れた瞬間、「わーっ」っと声をあげてしまうほどの美味しさに衝撃を受けます。
土に接したような匂いと重厚な蜜の味で舌が巻き付いてしまうようである。「わーっ」と吠えたてるほど
美味 いのだ。これは、この品種は、改良種だが野生を失っていないのである。真ッ赤なーー 黒いように赤い色なのだ。
それで「私」は急にスイッチが入ってしまい、おろし金を借りてきて、いちごをすりおろし始めます(おろし金でいちごをすりおろすって全然ピンとこないんですけど、昔はそうやってたんでしょうか。今やるとダルそう)。そうしてなんと一キロぶんのいちごをすりおろした「私」は、さらにそこへ牛乳を注ぎ、ラーメンのどんぶり二つにこぼれそうなぐらいのよくわからない代物を作り出してしまいます。フルー○ェかよ。
「これに砂糖を入れればゼッタイにこぼれるよ」
と私はいちごに言いながら少し砂糖を入れて匙ですくって食べた。かきまわせばこぼれるので砂糖を少し入れてはそこのところを食べて、
「うまいなぁ、〜〜」
と私はいちごに言いながらどんどん食べてどんぶり二杯みんな食べてしまった。
自分ですりおろしたいちごに声をかけながら食べる人、それが深沢七郎なのです。しかしこれ、想像できるビジュアルは別にしても、いちごの食べ方としては最高かもしれませんよね。我々はいちごっていうと、もちろんモノにもよりますが、そこそこ高級品のイメージを持っているから、ケーキやパフェなんかに美しく仕上げていただくのが相応しいなんて考えていたりする。ところが、上質ないちごが大量供給されて目の前に置かれると、人間は脳がバグるのです。
すると己が欲望のままにいちごを食らいだす。なにがケーキだ。パフェだ。ぼくのかんがえたさいきょうのいちごの食べ方の前では霞む。ってことで、おもむろに牛乳やら砂糖をぶっかけてガツガツ食べ始めた「私」は、すっかり大満足したものの、後日また八百屋で大量に積まれた真っ赤ないちごを見かけて、なんと、生命に対する罪悪感を感じてしまうのです。
このあたりからの話が深沢七郎の真骨頂であり、『いのちのともしび』の意味合いにもつながってくるのですが……と、いったところで、今回は失礼いたします🍓
今川焼きを焼く深沢七郎。
寄稿:ほし氏
https://twitter.com/hoshiboshi75