スカイツリーを初めて近くで見た。
磁石が付きそうなスチールパイプ。
あみだくじが出来そうなトラス形状。
粗削りな溶接とボルトナット。
そして圧倒的な、黄色。
そこからふり向けば、満員電車に揺られるバスケ選手のようにビル群に囲まれているスカイなツリーが、居心地悪そうにそびえ立っていた。ハローとニーハオとアンニョンハセヨが入り混じる仲見世通りと、満員電車のバスケ選手は浅草寺にまったく馴染んでいなかった。しかし写真の黄色いアレは、なぜか浅草に溶け込んでいる。理由は全くわからないがとにかく馴染んでいるのだ。
なぜバスケ選手は馴染んでいないのか。
以前からそこに在るものではなかったから我々が慣れていないのだろう。じゃあバスケ選手がイケナイ、と決めつけるのはまだ早い。 写真の黄色いアレだって建設時はきっと反対されたに違いない。「おもむきのあるこの場所に変な黄色の塔をオッ立たせるなんて下品だ!下腹部か!」当時はそんな怒号が飛び交ったと想像する。しかし今では当たり前のように黄色いアレは浅草寺と共に、まるで「おさるのジョージ」みたいに共存している。結局みんな、慣れてしまったのだ。
だったら我々も何かを始めた時に感じる違和感を、なかなか上達しないあれこれを、「慣れていないから」と言っていいはずだ。継続することでいつか馴染むなら、いつ始めたっていいじゃないか。
…というシナリオを妻に説き、ソープランドに行こうと思います。
寄稿:日照ノ秋人
くだらない、が進化する。
Blog:ふにゃふにゃフィロソフィー