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さみしさについて

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ときどき読みに行くようになったブログの著者が、過去にインタビューを受けた記事を読んだことがある。記事そのものは、もう8年近く前のものらしい。この人らしいなという応酬が続く中で、意外にも「読んでもらえると嬉しい」「感想をもらえると喜ぶ」という趣旨のことを言っていた。もっとドライな人だと思っていたので、読者へのリップサービスだとしても、ちょっとばかり驚いた。当時からすでに人気のある人だったようだけど、こんな人でも反応をもらえると嬉しいものなんだなと感じ、同じ人間なんだと、少しだけ親近感を覚えた。

全体としてはやはりドライなインタビューのその最後、「なぜブログを書くのですか?」と尋ねられ、「さみしいからかもしれません」と締めくくっていた。その「さみしい」という表現が、物悲しくもどこか美しく、そして幾許かの違和感を残すもので、ずっと長い間、心に刺さって抜けなかった。

先日、お風呂に浸かりながらふと、あれは「承認欲求がある」ということを、とても慎ましく表明したものだと気付いた。足りない、妬ましい、満たされたいという外向きの欲求としてではなく、「さみしさ」というただそこにある感情として受け入れているのだ。欲求はぶつけ合うことしかできないが、さみしさは寄り添い分かち合える。自分の「さみしさ」を認められることは、素敵なことだと思った。

書いた人

id:pochin_pudding(ぽちん):
僕らは見つけ合える。さみしさをお守りにして。
note: pochin_pudding
X: pochin_pudding
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