写真と文

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終わるときより終わるまで(映画「劇場が終わるとき」を観て)

 真喜屋力監督の書くコラムみたいにリズミカルでストンと落ちる短文を書こうと思ったのだけど、やっぱり私には無理でした。長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

真喜屋力監督・2024年11月16日、ねりま沖縄映画祭にて筆者撮影

 

 去る2024年11月16日、私は、ねりま沖縄映画祭「劇場が終わるとき」の上映会に向かっていた。複数会場に別けて行われたのだが、パンフレットの会場案内が判りにくく別会場に行ってしまい、主催者に電話で問い合わせて正しい会場(といっても道を1本を隔てて、ほぼ隣接だったのだが)に着くまで焦った。

 会場では真喜屋力監督自ら出迎えてくれた。真喜屋さんは前のプログラムのゲストでもあったので忙しいと思っていたし、私の顔など忘れていると思ったから、少なからず感動した。色々な話をしたが、私が自分の話をしたくて話の腰を折ってしまい、内容は、よく覚えていない。

 真喜屋力さんについては、以前、私が「写真と文」に書いた記事にご登場いただいている(ご自身に関するファクトチェックを依頼している)。私の文章の師匠のひとりである。

hiyokomagazine.hatenablog.com

 

 どういう過程で、そういう結論に至ったのか判らないのだが、よく覚えているのは、この歳にして初の長編映画ですと、はにかんでいたことだ。これは意外だった。真喜屋さんは琉球大学映画研究会の出身で、そこでの仲間の作品の助監督や台湾のアニメーション映画の監督などもしているから、長編の1本くらいは撮っているものと思っていた。

 また、儲かるものより納得がいく物を撮りたいと言っていた。この映画もクラウドファンディングで穴埋めができているものの、かなり持ち出しているようだ。上映も劇場に限り、ネット配信やソフト化は考えていないと言う。

 何より、こうやって劇場で旧知の人に会うことができるとも言っていた。Facebookで繋がっている人も、もう他界している人が多いと言っていて、そういえば、何年か前に、この映画祭で久しぶりに「ナビィの恋」を観たときを思い出した。

 「ナビィの恋」の中江裕司監督は真喜屋さんと同じオムニバス作品「パイナップルツアーズ」でベルリン映画祭に招待され、「ナビィの恋」には真喜屋さんもに美術監督として関わっていて、西田尚美さんが主演していたことも真喜屋さんとの縁を取り持つ切っ掛けであった(詳しい経緯は上のリンクの記事を参照のこと)。

「パイナップルツアーズ」DVDジャケット、サインは真喜屋監督と中江監督

 

 その、数年前の「ナビィの恋」の上映で、中江監督が、こう観てみると、出演者のほとんどが他界していて… と言っていたのを思い出した。何より、あれだけ色々なものに出ていた平良とみさんが他界していたのは知らず、驚いた。

 その後、これも真喜屋さんの縁で、渋谷のスペイン坂上にあった映画館(館名失念、シネマライズではなかった気がする)に中江監督の「ホテル・ハイビスカス」の劇場挨拶に行ったときには余貴美子さんたちを仕切って元気に踊っていたからだ。

 

 さて、この映画「劇場が終わるとき」も、劇団の館長の急逝から話が始まる。正直いってストーリーらしいストーリーがない映画で、逆をいうとストーリーがなくても、エピソードの、ひとつひとつがキラキラしている。エピソードで、人の生き様が明らかになる。特に亡くなった館長の甥が語る館長の話が良かった。

 しかし「首里劇場」という劇場を舞台にしたドキュメンタリーという説明が付いていたので、神経が弱っている私は、知らない劇場の長編ドキュメンタリーなど最後まで神経が持つのかという心配をして行ったのだが、そのために心配は杞憂だった。

 沖縄映画祭なのに沖縄的要素がなくて済みませんと真喜屋さんも上映終了後のトークで言っていたが、沖縄とか、そんなものを抜きにしても普遍的に人の心に伝わる映画だと思う。

 最初、閉館して閉ざされた首里劇場の窓が開き、そこからの外の景色が映る。この構図を観ると、あぁ、真喜屋さんだなぁと思うのだが、そこに軽自動車で現れるのは写真家の石川真生さん。何を撮っているのか良く知らないのだけど、今年の木村木村伊兵衛賞の受賞者に名前があったのには驚いた。

 そして、軽自動車から降りてきて、暑いね… 汗を拭けるように綿のシャツを着てきたよ、と言うのが映画のメインビジュアルになっている赤いシャツ。そして、あまり広角は使いたくないからさと言って50㎜レンズが付いた35㎜フィルムのカメラ2台で写真を撮り始める。

 途中、35㎜フィルムのカメラ(同じカメラとレンズを所有しているので持ってみたら今のカメラに比べて驚くほど軽い)さえ支えきれなくなり近くのものに体を預ける場面があるのだが、後に大量の薬を服んでいる場面も出てくる。癌を患っているとのことで、それで「大琉球写真絵巻」みたいな大作を作っていると思うと驚く。

 冒頭に戻ると、いつ撮られた話だか忘れてしまったが、館長の金城政則さんが、生前、頑張るよ、死ぬまで頑張ると言っていたのが、ここで、また蒸し返される。人間、命を掛けてもやらなくてはいけないことというのがあるのだと思う。

 真生さん(と真喜屋さんに倣って呼ぶ)が映画の途中、何がプロかというと、命に替えてもやる好きなことがあること、病院に入院して1ヶ月して死にましたとなったら、その間、すべきことができないのは苦痛だと仰っていた。

 途中、真生さんがストリッパーの牧瀬茜さんを閉館した首里劇場でロケして撮る場面があるのだが、そこでは冒頭で使っていた35㎜カメラの何倍も重いであろうデジタルカメラをブレることなく使っていた。しかし、使っているカメラのメーカーが、全部違うの(笑)。

 この場面、タテタカコさんの「祝日」という曲が流れて、真喜屋さんは、よく、長すぎると言われたらしいのだが、この映画については教科書どおりではなく好きにとらせてもらおうと言っていたし、上映終了後のトークでも、観客から、そんなことを言う人は、この映画を観る資格がないという声も出ていた。私は長いとは感じなかった。

 ストーリーというよりエピソードの集積だから、この調子で書いているとキリがない。上映時間90分。90分間、首里劇場という舞台は共通しているけれど、そこに色々な人のエピソードが去来する。ただ、私は、この映画の存在自体も含めた共通項として、人間、命がけでやらなければならないことがあるということを確信することができた。

 そして、やはり私は書かねばと思った。日の目を見るレベルまでクオリティーが上がるかどころか、かつての勢いを取り戻せるかすら怪しいけど、癌を抱えながら大作を作っている真生さんや、死ぬ数日前まで劇場を開けていた金城政則さんの姿を見ると、病気を抱えていようが、書くしかないだろう。

 

映画「劇場が終わるとき」は2025年5月、東京渋谷・ユーロスペースで上映予定。上映館は、今後増える予定とのことで、詳しくは公式サイトにて。

gekiowa.com

 

 

今回の寄稿者:ふぉんと (𝒇𝒐𝒏𝒕)

精神病闘病ブロガー

 

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