私は今、自宅のキッチンで茫然と立ち尽くしている。目の前にはキャベツが4分の1玉ほど、まな板の上に載せられていた。前日にキャベツを4分の1ほどを使って回鍋肉を作った際の残りである。ちなみに明日からは当面の間、自炊の予定がない。
「今夜中にこのキャベツをどうにかして始末しなければ…」
だが、回鍋肉以外にキャベツを有効活用できるレシピを私は知らない。キャベツには悪いが、もはや消えてもらうより他はなさそうだった。完全犯罪を企てる殺人鬼のように冷たい目をした私は、おもむろに包丁を取り出すと、ためらうことなくキャベツを真っ二つにした。8分の1玉のキャベツ塊が2個に出来上がった。
この調子で16分の1玉、32分の1玉と小さくしていけば、気が付くとキャベツ塊は雲散霧消してしまうのではないだろうかと考えてみる。いや、そんな都合の良い話などあるはずがない。そんなことをしても、4分の1玉分という大量のキャベツの千切りが出来上がる だけだ。
私はなにも「新宿さぼてん」 のフランチャイズ店を始めたいわけではない。ただ、余ったキャベツを上手に処分したいだけなのだ。他になんのおかずもないのに、そんな大量の千切りキャベツを発生させてどうする。もっと冷静にならなければ。
冷静になった頭で、私はフライパンを取り出してみた。フライパンを火にかけるとオリーブオイルを垂らして、その上でキャベツを焼いてみることにした。鮮やかな緑色のキャベツにみるみる焦げ目が付いていった。この調子で加熱していけば、キャベツは燃え尽きてしまうのではないだろうか。
いや、その前に焦げ臭いのだった。キッチンが猛烈に焦げ臭くなっていくではないか。このままでは隣家に火事だと誤解されてしまうかも知れない。慌てて水を400㏄ほどカップに用意すると、フライパンにそれを勢いよく注ぎこんだ。お清め代わりではないが、塩も適量放っておく。さらに、慌てたついでに冷蔵庫から残っていたベーコンを2枚ほど取り出すと、フライパンの中に勢いよく投げ込んでおいた。
「臭いものには蓋」というわけでもないが、私はフライパンにそっと蓋をしてみた。換気扇を最大レベルで回したら、キッチンの焦げ臭さはかなり軽減された気がした。そのまま4~5分ほど、フライパンの中のキャベツの行末について試案するが、妙案はさっぱり思い浮かばなかった。
すると、フライパンに注いだ水がふつふつと沸騰し始めたのでコンロの火を止める。どこからか美味しそうな匂いがしてきたではないか。きっと隣家がスープ的な夜食でも作っているのだろう。こんな真夜中にスープ作りなど、お隣さんもずいぶんと優雅なものである。こちらはそれどころではないというのに…。
フライパンの中で沸騰したお湯が冷めるまでは、キャベツにもうかつに触れないだろう。そこで私はフライパンに蓋をしたままキッチンを離れ、PS5で「GTA3」をプレイすることにした。現実逃避というやつだ。盗んだ車で立体駐車場に立てこもり、警察やFBIや軍隊と銃撃戦を繰り広げていくうちに、私はキャベツの始末のことなどすっかり忘れてしまっていた。
翌朝、目が覚めた私は、小腹がすいていたのでキッチンに向かうと、忘れていた残りもののキャベツと再会した。フライパンの中はすっかり冷たくなっているようだった。おそるおそる蓋を開けると人間の食べ物の香りが漂ってくる。昨晩、隣家が作っていた美味しそうなスープの匂いに似ていた。
無意識のうちに再加熱をすると、良い匂いはどんどん広がってきたので、小洒落た皿にキャベツを汁ごとよそってみることにした。なんとなく食べ物としてイケそうな予感がしてきた。粉チーズを振りかけると更にイケそうな予感が増したではないか。おそるおそる褐色の液体をスプーンで掬って口をつけてみる。滋味である。滋味としかいいようがない。これを滋味と言わずして何と言えばよいのだろうか。正しく、素材の味が滲み出ていた。
クタクタになったキャベツも一枚口にすると、口内に甘さだけを残してとろけて消えていった。偶然放り込んだベーコンの塩味も全体に良いアクセントを効かせている。私を悩ませていた残りモノのキャベツは、瞬く間にその姿を消してしまっていた。みなさんも、キャベツが残った時にぜひお試しあれ。