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久しぶりに九州へ行ってきたよ

九州に行ってきた。

 


何を隠そう私の体には父から受け継いだ九州の血が半分流れている。

しかし中学に上がる頃、父がオオフクロモモンガに攫われて以来すっかり疎遠となっていた。

 


九州の祖父や祖母は今頃何をしているのかと、時々気にはしていたものの特に連絡もすることもなく15年以上時が流れてしまった。

 


そんな私も30歳を目前に控えて、改めて自分の人生を振り返り始めた。父が結婚をしたのは20代前半のことで、私の歳には既に1児の父親だったと聞く。結婚、仕事、生きている意味は・・・世の中のアラサーらしい悩みだが行動に移すには十分すぎる動機である。

 


今思えば去年の年末に大型バイクを購入して、来たる日へのカウントダウンは始まっていたように思える。中型バイクとは比べ物にならないトルクと無理のない乗車姿勢に衝撃を受け、次第に遠方まで足を運ぶようになった。長距離ツーリングの楽しさを知り、九州を意識し始めた。

 

 


加えて今年の学会の開催地が熊本県だったのも影響したと思う。業務上の命令となると身体は勝手に動くもので、あれだけ躊躇っていた九州に気がつけば降り立っていた。あまりにも呆気なくて少し笑ってしまったのを覚えている。

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そこからはとんとん拍子だった。東京の戻ってから直ぐにフェリーの予約を取り、ツーリングマップルを購入した。7月某日あっという間に出港の日を迎えて暗いうちに東名高速に乗り大阪へと移動した。

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大阪南港を夜に出るフェリーは翌明朝に新門司港へ到着する。そこから祖父の家までかなり近いことは分かっていたが、不安感が強く最終日に後回しにした。

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この日は新門司港から南下して国東半島を越えて、湯布院から熊本へ向かった。

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途中猛暑にやられてサウナ、と言うよりは水風呂に緊急避難をした。そんな寄り道を挟みつつも、九州を横一文字に走った。ゲリラ豪雨に襲われたり、麺龍総本店で目の前でスープ切れになったりと色々あったがこれも旅の醍醐味だと思う。最高の思い出になった。

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翌日は熊本から島原を走り島鉄フェリーに乗り雲仙・普賢岳の西側を北上した。

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かの有名な大噴火があった場所には、この地で2代に渡って愛されているアイスクリーム屋さんが居た。卵黄をたっぷり使用しているアイスは甘くてさっぱりとしている。あまりの美味しさに2つも食べてしまったが、1つ200円なので予算の範疇だ。青い空と山々を眺めながら日陰に避難して食べるアイスの何と美味しいことか。もう3つは食べたかったが、続々と来訪するお客さんに譲り先へ進む。

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この日のゴールは西の最果ての少し上にある大バエ灯台だ。トンネルでの事故の救助などしていたら到着時には丁度日没のタイミングだった。ゆっくりと沈む太陽は海に溶けていくようだった。

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灯台に灯りが点き大海原に陸地の存在を知らせる。振り返れば長崎の島々と巨大な風力発電機が紫色に染まり闇夜に消えていくところだった。

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その日のうちに福岡の中洲まで移動して就寝、素晴らしいサウナだったがビールを飲みおでんを食べた辺りで電池切れとなり泥のように寝た。

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起きたらサウナに入り朝ごはんを食べて出発した。この日は九州滞在最終日であり電話帳の住所を頼りに祖父の家に行く日でもあった。

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福岡県のとある山の麓に祖父の家がある。Googleマップの言う通り都市高速を走り郊外の方へ行くと見覚えのある山が見えてきた。子供の頃、祖父の手を頼りに真っ暗な山を登った。当時は送り火のようなものを夏に行っていて、帰省するたびに行きたいと駄々を捏ねていた記憶がある。同じ時期に麓の公園で盆踊りも行われていて、東京から帰省した他所者にも関わらず、近所の人に可愛がられた記憶がある。山の方から着物を着た女の子が降りてきて、ケラケラ笑いながら踊っている様はとても幻想的な景色だった覚えがある。太鼓の音、赤提灯、鼻を刺す酒精の香り、翌日には東京へ帰る私にとってはまるで夢の中に入り込んでしまったかのような幻想的で儚い景色だった。

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今となっては寂れてしまったが、その公園の横の石段を登ると祖父の家がある。公園の周りを数度走り、間違えなくあの公園だと確信しバイクを停めた。あの頃は大きく見えた公園も石段も大人になれば大したことはない。そのどちらも雑草に覆われて明らかに人の手が入っていないことに気付き少し不安になる。石段を登り表札が合っていることを確認して呼び鈴を鳴らす。しばらくの沈黙ののち、15年ぶりに父が私の目の前に現れた。

 


「お前太り過ぎなんじゃねえか?」

 


15年ぶりに会った息子への第一声にしては随分と酷いのではないかと思ったが、オオフクロモモンガに攫われたはずだった父が目の前に居る現実を受け止めることに必死で上手く返答が出来ない。当時よりかなり痩せてしまったが紛れもなく父だった。聞くと父は高尾山へ拉致されかけたが、どうにか中央本線に飛び乗り故郷である九州に逃げてきたのだと言う。なぜ家族のもとへ帰らなかったのかと聞くと

 


「まああの頃は色々あったからね」

 


とイマイチ歯切れが悪い。その後も結婚もせず九州で暮らしていたと話す。祖父と祖母は数年前に亡くなったそうで、最後まで看取り長男としての責務は果たしたのだと淡々と語った。現在の家族は猫が数匹だそうで、有袋類はあれから苦手になってしまったと苦笑いを浮かべていた。

 


1時間ほどの滞在だったが、15年の隙間を埋めるには十分だった。父は私の健康を気遣い、私は父の家族である猫たちとコミュニケーションを取った。

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私の名前の由来となった曾祖母の仏壇に手を合わせて祖父と祖母の遺影に、じゃあフェリーが出るから、と別れを告げる。

 


「もう帰るのか」

 


父は呟き、バイクまで送るよと腰を上げた。

 

 

 

公園に戻ると相変わらず閑散としていた。停めてあったバイクに父は近づき、くるりと一周眺めてウンウンと頷き私に譲った。そういえば子供の頃に父のバイクに乗せて貰ったなと小さくなった背中を見てふと思い出した。

 


エンジンをかけるとドコドコと排気音が辺りに響く。父が何かを言うが聞こえず、今度は大きな声で

 


「気ぃつけてな、今度はいつ来るね」

 


早ければ来年か、ひょっとしたら2年後ぐらいかな、と答えると

 


「そか」

 


と黙ってしまった。

 


手を振ると、無言で手を振る父。じゃあね、とそれ以上言葉が出なくて私は出発した。

 


サイドミラーで手を振る父の姿が遠くなり、やがてカーブの向こうに消えていった。

 


15年ぶりにあった父、私はどんな父の姿を期待してたのだろうか。再婚をして家族に囲まれている可能性もあると思っていた。門前払いでも黙って帰る覚悟もしていた。だが父は1人ぼっちだった。たった1人で両親を看取り、あの家で暮らしていたのだ。この事実を知った私は、一人息子として何をすれば良いのか。

 


フェリーの上で子供の頃を思い出した。酒好きの父のためにウォッカを大量に購入して毎晩飲ませていた。酒に強い大人の男に憧れていたのだ。

 


今度はビールでも持って行き乾杯でもしよう。

 

 

フェリーは九州を、夏を、そして父を私から引き剥がしていく。

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書いた人

ぶっころりー

X:@bukko_sauna