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サラバ。

 

 地元のイトーヨーカドーが8月18日で閉店だった。

 

子供の頃、隣町に住んでいて物心ついたころには大きなお買い物をする時は必ず「イトーヨーカドー」だった。

専ら、子供だった私の服を買うのはイトーヨーカドー。

季節の変わり目には必ずいく大きなお店。

お中元、お歳暮、お祝い、お返し…

 

今や当たり前になってはいるものの、

当時、食品からフライパンや化粧品、文房具におもちゃ、宝くじにお花、下着に洋服なんなら理美容室、とどめは服のお直しと生活の全てを賄える最新のすごい場所。

普段、家族で出かけるスーパーとはわけが違うのだ。

 行くとなると父が休みの日曜日。片道1時間かけて向かい、いつも屋上駐車場へ必ずはいった。

子供にとっては薄暗く勾配で曲がりくねったスロープを昇るのだけでも、一つのアトラクション。車ってこんな急な坂も昇れるの?とワクワクしかなかった。

車を降りて、店内に入っても、明るくて広い店内、自分の背丈以上の棚に並ぶ商品の数に目が忙しかったことを覚えている。

買い物カートに幼い弟を乗せ、おねいちゃんな私はいつもその横をついて歩いていた。

なんてったって車で一時間の隣町の大きな商業施設、棚のジャングルに迷い込み両親とはぐれてしまうとそれはもう、生きて帰れないと思って必死だった。

 

 時は流れ、隣町からヨーカドーのある街の引っ越ししてからはなぜだか、外駐車場に停めるようになった。なぜだろう、母にあとで聞いてみることにするか。

食品を買うのは近所のスーパー、それ以外はイトーヨーカドーという習慣は変わらずだったが、少し離れたところに強敵「イオン」が登場した。

流行りが大好きな日本人気質、こぞってそちらへ流れていったが、高校生になっていた私は帰り道、平日の放課後、人少なめスッカスカのポッポでポテトをむしゃむしゃ食べていた。

 気が付くと私は地元を離れ、盆暮れ正月GWに帰省した時に寄るかーくらいの店舗に

なり、閉店の危機を何度も囁かれては噂だったと、消えていった話はついに、終止符を打った。

閉店が決まったのだ。

 

と、いうことで今年のお盆の帰省の裏テーマ(表とは)に「イトーヨーカドーにありがとうを言いに行く」があり、姪っ子とさらっと歩いてみた。

姪っ子と私は親子でもおかしくない年の差。

こうやって両親もイトーヨーカドーに連れてきてくれていたのだろうなと、感傷に浸りながら服を買ったコーナー、下着売り場、行きたくても行けなかったゲームコーナー、変な吹き抜けスペース。とっくになくなったポッポ跡地には大きな寄せ書きコーナーがあり、姪っ子と一筆書いて貼ってきた。

時代の流れか…仕方ないや。

なんだかんだ、君とは長い付き合いだったな。

ありがとう、さらばだ、イトーヨーカドー。