前回よりだいぶ間が空いてしまいましたが、またまた読むとお腹が減ってきそうな純文学作品を紹介させていただこうと思います。
で、今回は村上春樹の『納屋を焼く』という小説なのですが、村上春樹作品って純文学に入りますか? そのへんでワイン飲んでる野良ハルキストの皆さん教えてください。とりあえず私の中ではカジュアルな純文学作家ってイメージ。あと、いい意味でも悪い意味でも昔から印象が変わりません。ストイックに小説を書き、毎日ジョギングをし、でもビールを飲んだり大○を吸ったりもする。不思議と年齢を感じさせない人ですよね。
『納屋を焼く』は短編集に収められている一作品ですが、正直、私は村上春樹作品について、それほど引き出しがありません。読み切った小説は6冊ぐらい。小説よりもエッセイをよく読んでるので、生活背景の方なら割と知ってる方かもしれません。そんな私がいまだに忘れられないというか、たまたま読んで以降、自分の中に妙な感じで住み着いてしまったのが、この『納屋を焼く』なのです。
あらすじですが、主人公と年下の女の子がつるみ始めて、その子がいきなり海外旅行へ行って帰ってきたら、謎のイケメンの彼氏を連れてきたのです。その彼氏を主人公が家に呼んで、レコードでマイルス・デイヴィスを流しつつ、妙に美味そうなものを食べながら話をしていたところ、そのイケメンが「納屋を焼くんです」とか唐突に言い出す。
はぁ?と思って色々聞くと、そのへんの畑の脇にあるどうでもいい物置みたいなのを焼くのが趣味らしく、なんでそんなことすんのよと聞いても、はぁ?理由なんているんですかぁみたいに言うのでちょっと意味が分からない。とりあえず、次に焼く納屋の候補が割と主人公の家の近所にあるらしく、興味のわいた主人公は、ジョギングをしながら次に焼かれそうな納屋を探し始める。だいたいそんな話です。
その納屋を焼くとかいう彼ピッピと女の子と主人公が、家で食べていたものの描写。これがですね、小癪なほど美味そうなんですよ。
我々は家の中に入って、テーブルの上に食料品を広げた。なかなか立派な品揃えだった。質の良い白ワインとロースト・ビーフ・サンドウィッチとサラダとスモーク・サーモンとブルーベリー・アイスクリーム、量もたっぷりある。ロースト・ビーフのサンドウィッチにはちゃんとクレソンも入っていた。辛子も本物だった。料理を皿に移しかえてワインの栓を抜くと、ちょっとしたパーティーみたいになった。
まず思うのは、ここは日本やで、ちったぁ加減しろという話で、だいたい私も含めた庶民は、ローストビーフサンドウィッチなんていうものをそもそも入手できません。スーパーの特売寿司3パックと糖質ゼロのビール3缶買うのが精一杯のところにこんな描写を突きつけるのは、凶器を突きつけられているのと同じこと。それを村上春樹は意識してんだかしてないんだか、飄々とやってしまう。そりゃあ、アンチも湧くさ。しかしながら美味そうなのは間違いないのだから始末に負えない。
「食べちゃいましょうよ。すごくおなか減ったわ」と彼女が言った。
僕がいちおうホストとしてそれぞれのグラスにワインを注いだ。それから乾杯した。ちょっと癖のあるワインだったけれど、飲んでいるうちにその癖が体になじんだ。
我々はサンドウィッチをかじり、サラダを食べ、スモーク・サーモンをつまんだ。ワインがからになってしまうと、あとは冷蔵庫から缶ビールを出して飲んだ。うちの冷蔵庫には缶ビールだけはいつもぎっしりつまっている。友だちが小さな会社をやっていて、あまった贈答用のビール券を安くわけてくれるからだ。
なんでわざわざワインに癖があるとかないとか書きたくなるのかとか、スモーク・サーモンとかって、なんでわざわざ謎の・をつけようとするのかとか、色々と気に入らないところがあるのは確かで、だから私は彼の小説をあんまり読み通せてないのだと思います。
ただ、村上春樹が小説内において、自分にとって心地よい理想的な情景を作り込むのが得意な人であり、その場の雰囲気を醸し出すために、適切なアイテムを選び抜くその能力、ここは認めざるを得ないと思います。
村上春樹の小説にスーパーの寿司や焼酎の水割りは出てこない(出てきてたらすいません)。その代わり、サンドウィッチやスモークサーモン、ハンバーグステーキや白身魚のフライ、それにワインやビールやウィスキーが出てくる。食べ物と飲み物のペアリングもほぼ完璧で、むしろそれらを引き立たせるBGMとして、会話や人の動きが描かれている、といって差し支えない場面すらある。
彼の他の小説でも、ところどころで食べ物の存在感が雰囲気を支配することがあり、食べ物以外でも、車とか、ラジオとか、レコードとか、コーヒーカップとか、椅子とか、廃屋とか。それらが登場人物以上の存在感を放つことすらあります。たまに彼の小説を再読するたびに、食べ物を含めた「物」へのフォーカスの当て方によって、物事を進ませたり、人が表現できないことをあえて物に表現させる。そんな託し方が上手いなぁとつくづく思います。
ちなみに村上春樹はうどんとか割と好きみたいで、香川とかにうどんを食べに行ったりしたことをエッセイに書いてます。あと、湘南に住んでた時は食堂で刺身定食とか食べながらビール飲んだりしてたそうなんで、根は割と庶民派かも。ただ不思議と中華料理は受け付けないみたいです。そのへんのラーメン屋の匂いを嗅いだだけでダメらしい。それってけっこう難儀だなと思うんですが、そういうとこから小説内での食べ物選びの基準が生まれているのかもしれない。なんて勝手に想像しておきましょうか。
寄稿:ほし氏