私は趣味といわれると趣味らしいことが何もなく、ひたすらネットで時間を溶かしているタイプなのですが、恋人が、あるスポーツを趣味にしています。
彼は、そのスポーツを中学からアラフィフの今まで、ずっと続けています。
「楽しいから続けているのでしょ?」
スポーツを楽しむという感覚がいまいちわからず聞いてみました。趣味で続けるくらいだから、きっと試合するのが楽しくて、好きなのだろうなぁって。
彼の答えは
「んー今は負けたくないって気持ちかな」
え? 数か月に一度は大会だとか試合だとかが組まれており、私が聞く限り、彼は一度も勝ったことがありません。毎度初戦敗退だと笑っていました。
勝ち負けの定義がそもそも違うのかぁ。
興味深いなぁと思いました。きっと長く続けて人付き合いとか、いろいろあって続けている部分などもあるのでしょうが、真っ先に出てくる理由は「負けたくない」なんだなぁ、と。そして「楽しいのか?」質問に対しての答えであることから、楽しいだけではないのだろうなぁ、と。
なんとなく、人生もなのかもなぁって思いました。
楽しいから、幸せだから、生きているの? と聞かれたら私でも答えは、なんかちょっと別の答えになりそうな気がして。
ポジティブだけじゃ生きていけない。
もう敗退確定の消化試合しかなくても、自分が場末のブログでくすぶる書き手でも、この先おっきな花丸はつかないことが確定している人生でも、ここでやめるのはきっと、何かに負ける気がするから。
皆も、私も、つらくて苦しくて、もちろん、それだけじゃないだろうけど、人生そう簡単に辞めるわけにはいかないの……なんて考え方は、ちょっとパラノイア(妄想性障害)っぽいかな。
私もつらいけど、「みんな」も、きっと、つらいから……なんて言い方をすると、昔私のブログに来ていた東大卒の狂人は健常者のほうがよっぽどパラノイアだ、と気持ち悪がった。自他の境界をあいまいにすることを嫌う人だったなぁ。
あいつは、まだ生きているだろうか。たまに思い出す。負けていないといいなぁ。
私も健常者ではなかったよ、と、伝えてもしょうがないことをあれこれ思う。
脱線しすぎた。生き物は、何かに勝ちたいわけじゃない、けど負けるわけにはいかない。そういう勝負を生まれたときに課せられているのかもしれないなぁ、なんて思った。仏教的には煩悩の一種かもしれないけど(笑)
「試合になると負けたくない自分が出て、ちょっと嫌なんだよね」
普段穏やかな彼が笑いながら言う。
そんな彼の試合が終わるのを待ちながら、彼の言葉を拡大解釈するのだった。