写真と文

誰でも参加自由。メンバーが共同で作る WEB 同人誌

オワコンの今だからこそブログを書こう。



写真は名護湾の風景である。こちらはイルカがやってくる湾であり、昔はイルカ漁もやってたとのことである。

 

さて、お久しぶりですな。写真と文に寄稿をするのも月一ペースでやらせてもらってるが、なかなかに仕事が忙しくて趣味の文章を書く時間も取れない日々が続いている。おざなりな文章を書いてしまうのもアレなので、今月も軽めのエッセイを書くやり方でやらせてもらおうか。

 

僕は自分の肩書きとしては「雑文書き」を名乗らせてもらってるが、それは一般的な「ブロガー」と呼ばれるようなブログを書いてる人たちの価値観とは相容れないと思うようなことがあったからである。この肩書きを名乗り始めて随分と時間が経ったように思うが、自分ではそれで間違ってなかったのだなと思う気持ちが強い。

 

近年、SNSの隆盛により情報発信が誰でも気軽に行えるような世の中になった。Twitter*1のような短文SNSが流行したことにより、お手軽に承認欲求や金銭的な欲望を満たすプラットフォームが存在してる。

 

それは別に咎め立てるもんでもなかろう。お手軽に自分の考えを発表して同志を集めたりとか、とくに商売をできるような基盤がない人でもノーリスクで商売を始めることができるというのは素晴らしいことである。しかし、情報発信の価値というのが、目的に引っ張られて固定化されてるのは好きじゃない。

 

かつてブログブームというのがあったのだけど、その時、「役に立たないことは書く意味がない」という価値観が観測範囲でかなり広がった。ブログオワコンになることで、それらの価値観の人たちはYoutubeに行ったりとか他のSNSプラットフォームへ移動したようである。

 

僕的にはこの価値観は随分と転倒してるなと思うんである。本来、ブログのような随筆的な読み物というのは、本質的に社会にとって無駄で必要ないものである。文化的なものは必要が満たされた後の余剰で作られるものであり、その無駄やゆとりというのが好きなので僕はブログをやってる。

 

コスパや利益ばかりを追求する価値観というのは、殺伐として、何の色も味わいもない。過剰なコスパの追求というのは映画の倍速視聴のようなものであり、コンテンツを消費したことを他人に自慢する承認欲求だけが重視されるようなものである。そこで空いた時間に、さらに過剰に生み出された商業主義のコンテンツを押し込んでいく生活というのは、ある種の無間地獄のようなものであり、やってて何が楽しいんだろと思う。

 

資本主義の中では「コト消費で自己実現」というやり方でマーケティングが行われていたことがある。僕の解釈では、これは企業が個人を飼い慣らすための思想だった。2020年台にもなる現代において、インターネットを通じて世界中の人とリアルタイムでやり取りできるこの時代で、いまだにそんな価値観に縛られてるのは、逆に保守的ですらある。

 

自分でやりたいことぐらい、誰に言われなくとも自分で決めてやるべきであるし、そういうことまでSNSだとかで他人の顔色を窺いながらやらされるのは息苦しくない?

 

それでどうするべきかーというのは、拙くてもいいから自分なりの価値観というのを情報発信するべきでしょうな。ブログオワコンの今の時代だからこそ、むしろ逆に自分の言葉でブログを書く意味が生じてると思うんである。

 

自分の考えをブログで発表することは、発声練習としては非常に優れている。自分が本当は何を求めてるとか、自分がやりたいことは何なのかをはっきりさせるには、まずはその手続きだとかプロセスを愛することが重要じゃないかと思うんである。

 

結論としては、無駄なことととかプロセスをちゃんと愛することは必要なことだよなーーということである。他人がなんと言おうが自分が好きなことは好きであると表現するべきである。そのエゴを突き通す力というのは、SNSを通じて日常生活の中で無数に押し付けがましく欲望を煽る社会の中では必要不可欠なもんである。だからこそ2024年の現代でブログを書く意味がある。

 

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プロフィール

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*1:僕はイーロン・マスクが嫌いなので死ぬまでこの呼び名を使うつもりである。人は誰しも一つぐらいこだわりがあるもんだ