
鎌倉最後の秘境と呼ばれる「番場ヶ谷(ばんばがやつ)」の存在を知ったのは、昨夏のことであった。草木ボーボー、虫ブンブンな時期を避けてから探訪してみようと思っていたのだが、いつまで経っても寒くならないどころか、涼しくすらなる気配がないので、業を煮やしてまだ暑さの残る10月末に足を運ぶことにした。
「最後の秘境」だけあって、番場ヶ谷の情報はインターネッツで検索しても僅かしか見つけられなかった。その僅かな情報によると、番場ヶ谷は天園ハイキングコースの分岐ルートだということがわかった。Googleマップに記載のある「天園ハイキングコース吉沢川入口」という場所が、番場ヶ谷へダイレクトに繋がる入口らしい。
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つまり、番場ヶ谷はあの有名かつ人気の天園ハイキングコースの一部なのだが、鎌倉市のオフィシャルなコース案内では番場ヶ谷の「ば」の字も出てこない。ちょっとだけワイルドなキャラが災いし世間からは「亡き者」扱いされている、そんな不憫な番場ヶ谷にちょっとだけシンパシーを覚えつつ、私は金沢八景駅から鎌倉駅行きのバスに乗り番場ヶ谷方面を目指した。
当初は、十二所のバス停で下車し、老舗の蕎麦店「峰本」で蕎麦でも啜ってから歩き出そうと思っていたが、ふと車内アナウンスで「朝比奈」という地名を耳にして慌てて降車ボタンを押した。そうであった、ここには鎌倉七切通の一つで国指定史跡の「朝夷奈切通」があるのを忘れていた。
バスを降りると、NHK大河ドラマの紀行コーナーでも観た「上総介塔」をお参りし、これより先の無事を祈る。よくよく考えてみると、理不尽な理由で殺された人物に休日のハイキングの無事をお願いするというのも変な話。しかしまあ、大河ブームも落ち着き訪れる人も減った今、上総介殿の寂しさも少しは紛れたのではなかろうか。
朝夷奈切通を抜けると十二所のバス停付近に到着する。そこには前述の峰本の店舗がドンと構えていた。幸い空いてそうだったので、予定通りここで食事を済まそうかと思ったのだが、食事をしてすぐに動くとかなりの確率で下痢をする体質なのを思い出し、食事は自重してそのまま先を急いだ。

十二所方面へと進めば、いよいよ番場ヶ谷。
峰本を通り過ぎてからは、脇道に入り住宅街をどんどん奥へと進む。数百メートルほど歩くと行き止まりで進路を阻まれるが、川沿いに設置されたガードレールの切れ目から先に進む小径を発見。そう、ここが鎌倉最後の秘境「番場ヶ谷」の玄関である「天園ハイキングコース吉沢川入口」だ。
おそるおそる足を踏み入れていく。こういう秘境と呼ばれる場所というのは、往々にして少しずつ「秘境度」がアップしていくもの。だが、こちらの番場ヶ谷さんは、ちょっとだけ芸風が違うようなのである。いきなり秘境度MAXのおもてなしが私を待ち構えていたのだ。どのくらいの唐突さかと言うと、AVのタイトル風に説明すれば「出会って3秒で遭難」みたいな感覚だと言えばご理解いただけるだろうか。

こちらは朝夷奈切通で見かけた石像。
藪を掻き分け、倒木を乗り越え、ぬかるんだ道を必死に進んでいく。先ほどの朝夷奈切通とは比較にならないハードな環境で、自分の中に「やっちまった感」がみるみる満ち溢れてくる。それでも、木の枝に結ばれた正しい道を示すビニールロープだったり、ぬかるんだ道に渡された木材だったり、どこかの好事家たちのお節介に救われながら道を進んでいくと、ようやく吉沢川沿いの少し開けた場所にたどり着いた。
そこからは川沿いに細い道を進む。高度感はさほどないが、滑落すると川にドボンなので少し神経を使いながら前進すること十数分、それまで進んでいた川沿いの道は突如途絶えてしまった。正面には朽ち果てる寸前の丸太がニ本ほど川にかけられているが、渡って良さそうな雰囲気でもない。ふと、開けた左手に目をやると、斜面に突き刺す形で、鉄製の階段が斜面の上に向け設置されているのを発見した。

この地点では右前方の丸太橋から対岸に渡るのが正解。
丸太橋も鉄階段も人工物なので、どちらのルートも正解の可能性はあるが、これまでの経験に従えば鉄階段が正規ルートである可能性のほうが遥かに高い。迷いなく左手に進み、鉄階段を上がり、結構な急斜面をよじ登る。すると、ここまでひとっこひとり見ることのなかった番場ヶ谷のど真ん中で、呆然と立ち尽くす初老の男性と鉢合わせた。
「ここから先、どう行けばいいんですかね?」
その男性は私にこう尋ねてきた。ここから先のルートが見当たらないのだという。確かにルートは見当たらなかった。であれば、先ほどの分岐で丸太橋を渡るのが正解だと気づきそうなものだが、この坂を上るまでのルートが想像以上にハードだったので、私と男性の思考回路からは「②丸太橋を渡る」という選択肢はすっかり消え去っていた。
薮を掻き分けながら強引に前に進めば、きっとルートが見えてくるはずだと思い、私は男性を置き去りにして前に進もうとする。と、その時だった。
「君、し、死ぬの?」
どこからともなく、そんな声が聞こえた気がして、私は思わず足を止めた。気がつけばもう陽はかなり傾いていた。もし、強引に歩を進めて迷いでもすれば、鎌倉のハイキングコースといえども遭難の可能性は十分にある。ここで無念の撤退という選択することとなった。
引き返すと、先ほどはガラガラだった峰本の駐車場は、夕飯時ということもあってか満車状態だった。店内もきっと満席なのだろう。待ってまで食事をしたいという気分でもない。持て余した脚力を消費するのも兼ね、鎌倉駅方面へと徒歩で向かうことにした。
にしても、あの時の「君、し、死ぬの?」という声は幻聴だったのだろうか。それともあの男性が私を引き止めようとして声をかけてくれたのか。いや、あれはもしかすると、私に無事を祈られた上総介殿の声だったのでは。
ちなみに番場ヶ谷はこの半月後に再挑戦して軽くクリアしたが、その時のエピソードはこの駄文以上に面白味がないので割愛させていただき、最後にこのエリアの訪れるべき名店を紹介して本稿を閉じることとしたい。
tabelog.com
周辺には他に飲食店もないので、腹が減っては戦ができぬタイプの方は、ここで腹ごしらえをして番場ヶ谷に向かうことをお勧めしたい。ちなみにお店は小町通りや、鶴岡八幡宮の前にもあるので、朝比奈切通や番場ヶ谷にはちっとも興味がないけど、峰本の蕎麦には興味があるという方はそちらの店舗をお勧めする。
【アクセス】
1)朝夷奈切通
京急バス「朝比奈」バス停下車
2)番場ケ谷(天園ハイキングコース吉沢川入口)
京急バス「十二所」バス停下車
寄稿:大塚
X:@rrhjrs